第三回・20年前の最終戦取材経費
十年ひと昔、二十年ならふた昔である。そのふた昔前、2004年の最終戦は10月31日にバレンシアGP決勝レースが行われている。2024年のMoto2クラス世界チャンピオン小椋藍は、このときまだ3歳9ヶ月の幼児。今年の最終戦でフル参戦に区切りをつける中上貴晶も、12歳。彼は早生まれなので、おそらく当時は中学1年生か。20年前、とは現在からそれくらいの時間的隔たりがある時代、ということだ。ちなみに、この年の最終戦はシーズン第16戦である。この翌年、2005年に年間開催数が17戦に増え、さらに2007年に18戦になった。参考までに、この2004年シーズンにMotoGPに参戦していた日本人選手は、玉田誠(H)と中野真矢(K)。250ccクラスでは青山博一がホンダスカラシップで参戦を開始し、関口太郎や松戸直樹も走っていた。125ccクラスは宇井陽一が参戦していた(終盤からはWCMでMotoGPに参戦)、そんな時代である。
その頃の諸物価はというと、体感的な記憶でいうかぎり、さほど現在と大きな差がないようにも思えるのだが、経費を記録したメモを見ると、20年という時間の隔たりが数字でハッキリと示されているのが面白い。いや、価格高騰という意味ではまったく面白くないんだけど。というわけで、以下ではその詳細を少しつまびらかにしてみましょう。
まずは航空券。メモによると2004年の取材でも現在と同じようにエールフランスを利用している。経路は成田/CDG/VAL。たしか当時はまだ羽田に国際線が発着していなかった頃で、羽田空港のWebサイトによると、新国際線ターミナルの竣工はどうやら2010年だったようだ。航空券の料金は諸経費込みで往復13万5000円。この時代のエコノミークラス運賃としては、時期や航空会社を考えると、まあ妥当なところだと思う。ルフトハンザだとこれより2~3万程度は高くて、日本の航空会社ならさらに数万円高くなる、というような料金体系だったと記憶する。