Yours Is No Disgrace
土曜のスプリントはマルク・マルケスが優勝(Ducati Lenovo Team)、2位は弟のアレックス・マルケス(BK8 Gresini Racing MotoGP)、3位にペコ・バニャイア(Ducati Lenovo Team)。日曜の決勝レースは前の文章のCtrl+C、Ctrl+V……と思ったら3位が違っていて、お久しぶりのフランコ・モルビデッリ(Pertamina Enduro VR46 Racing Team)。いずれにせよドゥカティ圧勝で表彰台独占、マルケス兄弟は2戦連続土日ワンツーフィニッシュ。彼らはいまのところ、21世紀で世界最強最速の兄弟といっていいでしょう。そのうち、ザ・ファンクスみたいに、ザ・マルケスと呼ばれるようになるんでしょうか。そんなことはないですね。
それにしても、予想されていたこととはいえ、兄マルケスは強いですね。元々が不世出の天才ライダーであることは万人の認めるところなので、最強マシン&最強チームという体制の今シーズンは、ビンビンに光る無敵マリオ状態でこのまま一年が推移していったとしても誰も驚かないでしょう。Twitterでもちょこっとつぶやきましたが、このシャレになっていない強さはミック・ドゥーハン最強時代の、あの絶望的な強さを想起させます。
マルクが最高峰クラスに昇格して数々の最年少記録を片っ端から更新しまくった2013年は、「この若者はいったいどれほどの才能を裡に秘めているんだろう……」という超弩級の器に世界中が瞠目し、翌2014年に開幕戦から10連勝(しかも第6戦までは毎戦ポールトゥウィン)を飾ったときには、「わはははは。どこまで行くんだ」と、もう笑うしかない状態だったのですが、とはいえおそらく皆がその若さに対して「底知れぬ可能性への興味」を抱いていたゆえに、華やかで愉快な雰囲気を感じることができていたのだろうと思います。余談になりますが(というかこのニューズレターすべてが余談なんですが)、2014年に驀進するマルケスの連続ポールポジションを阻止したのは第7戦カタルーニャでのD・ペドロサ、マルケスの開幕以来連勝記録を10で止めたのもチェコGPで優勝したD・ペドロサでした。こういうところでシブい存在感を発揮しているのが、まさにダニ、という気がします。
マルケスの場合と同じように……というと時系列が逆ですが、本来ならば退屈なはずのワンサイドゲームを、圧倒的なスター性で華やかなワンマンショーにしていたのが、2000年代前半、とくにホンダ時代のバレンティーノ・ロッシですね。2002年シーズンは開幕から連勝を続け(といいながらじつは第2戦南アは宇川徹が優勝し、ロッシは2位。このレースも印象深いですよね、古参ファンの皆さま)、とくに第3戦ヘレス以降は連戦連勝の快進撃モード。ここでまたひとつ思い出しましたけれども、2002年のヘレスではMotoGP初優勝を飾った宇川徹氏に優勝記念単独インタビューを行ったのでした。ホンダファクトリーのホスピ(当時はテント屋根でした)で、雑談込みで1時間近くうだうだ喋っていたような記憶があります。このときのパドックは、(ヨーロッパだからという地理的な要因も大きいでしょうが)「宇川が勝ったぜ!!」というよりも「ロッシが負けた……」という雰囲気が強かったような気もします。
まあとにかくそれくらいロッシ人気は天井知らずでどんどんうなぎ登りを続ける、まさにその途上にある時期でした。その年にロッシの快進撃が止まったのも、後年にマルケスの連勝がストップしたのと同じチェコ・ブルノでした。このときはたしか、タイヤトラブルか何かで決勝レース中にピットインしてリタイアするのですが、その瞬間に、ブルノ(ここもシーズン屈指の観客動員を誇る会場でした)の満場の観客席から動揺めいたどよめきがあちらこちらであがったような記憶があります。記憶がそんなふうに上書きされて強化されているだけ、といわれればそれまでかもしれませんが、まあとにかくこの時期のロッシ、そしてそこから約12年後の最高峰昇格直後のマルク・マルケスには人を惹きつけずにはおかない天性のスター性が、若者特有の無邪気さ(ゆえの残酷さともいう)とも相俟って、とんでもないスーパースターとして群を抜いた存在でした。
で、今年のマルケスは2013~14年の彼自身、あるいはスーパースターの栄光の道を加速度をつけて駆け上がっていたキラキラ時代のロッシと比較すると、円熟味を増している分だけ、まるで赤子の手を捻る大人のようなシャレにならない要素を、どうしても強く感じてしまいます。もちろん、だからといってレースそのものがつまらないわけではなく、ホンダとヤマハの復調や個々の選手の活躍等々、見どころはいつだってたくさんあります。なので、「勝つとわかった瞬間に黙ってテレビのスイッチを切る」という、タイガーマスクの嵐十段のようなことをするわけでは決してないのですけれども。とはいっても、現在のマルケスには圧勝時代のドゥーハンに通ずるような「敵は己自身」というか、周囲とレベルが違うゆえに自分自身と戦い続ける求道精神、みたいなものを感じてしまいます。ドゥーハンは陰か陽で言うと陰なキャラなのでそれが比較的わかりやすく、マルケスは陽なキャラクターであるためにそのへんがつい見逃されがち、という違いはあるかもしれませんが。
次戦のCOTAはそれこそマルケスの大好物なので、普通に考えたらまたもや土日連続してポールポジションから1等賞でしょうし、どうせシャレにならないほど強いのなら、いっそのことシーズン全戦ポールトゥフィニッシュ、くらいのとんでもない高みを目標にしてもらう、なんてのはどうでしょうか。まさにそれが実現すれば前人未踏かつ空前にしてまちがいなく絶後の大記録ですが、とはいえなんだかんだといってもやはりレースは競争相手がいるものなので、そこまではさすがに難しいかもしれませんけどね。
少し話題を変えると、今回は週末を通じてホンダの復調をはっきり見て取ることができた、と感じた人は多かったと思います。金曜から調子のよかったヨハン・ザルコ(Castrol Honda LCR)がフロントロー3番グリッドスタートでスプリント4位(!)、決勝6位。しかもファクトリーチームのジョアン・ミルとルカ・マリーニが9位と10位。ホンダ3台がトップテンフィニッシュを飾るのは、はたしていつ以来でしょう……、と思って調べてみると、2022年第5戦ポルティマオ(M・マルケス:6位、A・マルケス:7位、P・エスパルガロ9位)以来のようです。表彰台を争える状態へ戻してくるまで、ここからさらにどれほどかかるのかは誰にもわかりませんが、それでもようやく長い長いトンネルの先にうっすらと出口が見えつつある状態にはなってきたといえそうです。そういえば、渡辺康治HRC社長とはレース現場でお目にかかるたびに、ピットボックスから出てきてくれて「いや、ホントに(復活に)時間がかかっていて……」と申し訳なさそうにいつも声をかけていただくのですが、そんなことばが時候の挨拶のようになっている今の状態も、うまくうけばもうそろそろ終わるのかもしれません。その方向に着実に歩んでいるのかどうかは、これから数戦の内容で明らかになってくるのでしょうね。そのあたりについても、今後は注視していきたいと思います。
さて、今回のレースでおおいに話題になったのは、やはり小椋藍の失格処分でしょう。決勝レースは5列目15番グリッドスタートから1周目で10番手に浮上。その後は前の選手とのタイム差を着実に詰めてゆきながら、8番手でチェッカーフラッグを受けた姿は、Moto2時代にやっていたことをさらに最高峰でもしっかりと積み重ねて習熟しているようで、非常に頼もしく感じさせる内容でした。じっさい彼自身、レース後の囲み取材でもそれなりに納得をしていたような受け答えでした。
その囲み取材では、大意で「ウォームアップで少し進入がよくなって、それをレースで活かすことができた。トップテンはひょっとしたら目指せるかもと思ったけれども確信はなかったので、8位で終われてよかった。バイクも自分も少しずつ習熟できている」と話しており、この段階ではもちろんまだ何も本人は何も知りません。そしてご存じのとおり、ECU/IMUの違反による失格が通告されるのはそれから約2時間後。FIMによる通告はこれ(↓)

MotoGP Stewards Panel より下された通告の抜粋
読んでいただければおわかりのとおり、理由はテクニカルレギュレーション2.4.3.5.3に抵触したため、と記されています。レギュレーションの該当部分は「Electronic Control Unit and Inertial Measurement Unit」という項目のうち、"b) Software"という部分、2025年のルールブックではP98からP101になります。この冊子はFIMのサイトなどから自由にダウンロードできるので、興味のある方はご一読ください。一家に一冊、お手元に置いておくと何かと便利ですよ。英語の勉強にもなるし。
このルールブックの上記項目にはあれこれと長い文言があるのですが、今回の出来事に即して言うならば、要するにホモロゲーションを受けていないファームウェアを使用してしまった、ということのようです。小椋はこのレースウィークの土曜Q1で転倒しており、バイクを組み直す際にその未承認ファームウェアが乗ったECUをバイクに積んでしまった、という事情らしく、その一部始終やアプリリア側テクニカルマネージャーの説明などについては、友人のサイモン・パタースンが取材した詳細な記事があるので、そちらをご参照ください。間違っても、どこかの剽窃サイトや上記記事を勝手に切り貼りしたコタツ記事のようなものはくれぐれもご覧にならぬよう、お願いしますね。で、このファームウェアを搭載したECUですが、性能的に何らかの優位性があるなどということはまったくなく、結果論としてのリザルトはともかく、そこで小椋が披露したパフォーマンスはまさしく彼自身の真正のものであることは間違いないでしょう。次戦COTAでの健闘に引き続き期待しましょう。
日本人選手のレース失格処分といえば、やはり思い出すのは2003年の日本GP、玉田誠の幻に終わった3位表彰台ですね。あのときは抗議が提出されてからすったもんだして、裁定が出たのはたしか夜8時を回るくらいの時間だったので、ふらふらになりました。玉田氏が表彰式に登壇したあとの出来事だったので、満足感を抱いて帰宅したファンも大勢いたでしょうし、抗議が出て審議されていることを知らずに撤収したメディアも少なからずいたような記憶があります。この裁定の結果、たまやんの3位表彰台は取り消され、4番手でチェッカーを受けたニッキーが、式典はなかったとはいえ記録的には初表彰台になったのでした。ちなみにたまやんは前戦のリオで初表彰台(3位)を獲得していたので、2連続表彰台になるはずだったものがなくなった、ということになります。そして翌年のもてぎでは、このときのリベンジではないですけれどもポールポジションから独走優勝を飾るのですから、いや、やることがじつに男前です。
日本人の失格では、2014年開幕戦のカタールでも、ひとつ出来事がありました。皆さん、憶えていますかね。Moto2クラスのレースで優勝者から0.040秒という僅差の2番手でチェッカーフラッグを受けた中上貴晶が、表彰式や記者会見などひととおり式進行を終え後に失格を通告される、という出来事です。原因はチームが規定と異なるエアフィルターを使用していたためで、ポカミスとはいえこれは明らかにチーム側の過失。中上選手は災難ですよね。このときも結果が出たのはたしか深夜(なにせナイトレースですからね)をかなり過ぎた時間帯で、腰が砕けそうになるくらいふらふらになった記憶があります。2014年だから、あれからもう11年ですか。よその子とゴーヤは育つのが早い(by博多華丸)といいますが、時間が経つのはあっという間ですね。
というわけで今回もやたらダラダラと長くなってしまったので、そろそろこれくらいにしておきます。タイトルはとくに狙ったわけじゃないんですが、前回と今回は偶然に二回ともタイトルがYESになってしまいました。ではまた次回。
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