第四回・同時代性とは何か(あるいは我々は何を求められているのか)
ライダーと空港でばったりでくわす、という偶然は過去にも何度か経験しました。中野真矢氏がMotoGPからSBKにスイッチしたときだから2009年だったと思いますが、ドイツのフランクフルトだったかミュンヘンだったかの空港でばったりと遭遇したことがありました。これは本当に予想外の出来事で、そんなこともあるんだなあと驚きました。また、それと前後する頃には、バルセロナの地下鉄駅から出てきたとき、「あれ、こんなところで何してるの?」と声をかけられたので振り向いたら、ラタパーク・ウィライロー氏だったこともありました。今回は濱原選手に空港でばったりとでくわしたわけですが、そのへんのショッピングモールにふらりとやってきたとでもいわんばかりのクロックスをつっかけた姿は、かつてカタールGPにスリッパ姿と半ズボンでやってきた元サイクルサウンズ編集長の近藤茂寛さんをちょっと思い出しました。
まあ、中野氏にしろウィライロー氏にしろ、いずれにせよかなり古い話です。で、今回の話に少し繋がる(というかむりやり繋げる)のですが、濱原颯道選手の活動を見ていると、バイクに乗ること、レースをすること、そしてファンの方々に接すること、といったアプローチの手法が非常に独特であることは多くの方々が感じていると思います。そのような彼の様々な取り組みを見ていると、濱原颯道的なレースやバイクの普及促進活動が有効に訴求しているのであろう対象もおそらく、彼と同年代±10歳、くらいの年齢層がコアコアなメインターゲットになっているのではないか、という気もします。その意味では、彼の存在そのものが非常に現代的なのだろうとも思います。
だとすると、彼のユニークなアプローチが有効に届いている相手が、現代的なレースファン、バイクファン、ということにもなるのでしょう。二輪ロードレースのファン層(というかそもそも論で言えば日本のレース関係者全体)が高齢化していることは以前からずっと言われ続けていることで、一面ではそれはたしかに事実なのかもしれませんが、その半面では、上記の濱原颯道選手の例が示すように、若いファン層が常に一定数の参入をしているのも事実だと思います。定量的な実証例などがあるわけではなく、あくまでも体感的な印象ですが、日本GPの観客などを見ていてもそれは常に感じます。また、自分の身近なところで言っても、この数年はMotoGPの日本人取材陣にも若い年齢層の人々が増えているのはご存じの方々もいらっしゃると思います。彼らの書くもののほうが、我々よりもはるかに同時代的な昂奮や共感をよりよく伝えるであろうことは間違いないでしょう。長年取材してくると経験や鑑識眼など蓄積されてゆくものも多い半面、環境に慣れることによって新鮮な発見や驚きなどは鈍化し摩耗してゆくため、レースを見始めて間もない年若い年齢層からの共感はおそらく得にくくなってゆきます。
もちろん長年の取材経験があるからこそたどり着ける場所や見抜ける物事というものがあるのも事実なので、どちらのほうが優れているという二者択一の議論にはならないのですが、少なくとも自分自身については、「もはや自分は若い取材者ではない」という自覚はこの年齢になれば必要なのだろうなと思うし、若い取材者の人々の書くものを読んでいると、「自分にはああいうふうには書けないな」と感じるのも事実です。だからといって、自分のやっていることにもはや価値がないとも思わないし、それなりの視点と論点を持って語ることによって価値を生み出すものもあるだろうから、まあそういったものを明日以降の最終戦ではじっくりと見てゆこうかなと考えています。
というわけで、今回はどうにもとりとめがなく結論のない雑感になってしまいましたが、そろそろバルセロナ行きのボーディングタイムなので、今回はこのへんで。
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