第1回 まずはニューズレターをはじめるにあたって

このたび、ニューズレターなるものを始めてみることにしました。といっても、なにかことさら大きな理由があって発行を決意したわけでもなく、まったくの思いつきスタートです。ともあれ、よろしくお付き合いを願います。
西村章 2024.11.06
誰でも

 思いつき、と上のリード部分で記してみたものの、そうはいってもこれを開始するまでの背景事情はそれなりにあれこれあったりもするのですが、それはまあ機会があれば徐々に説明してゆくことにします。今回は初回でもあることだし、まずは気軽に読み飛ばせるようなものにしたいと思います。今後はおそらく、そのときどきの自分の気分や世情次第で硬軟様々に振幅の広い話題を取り上げていくことにもなるでしょうし、硬めの題材について語る際には文章もこのような柔らかめの敬体(~です、~ます調)ではなく、もっと構えた常体(~だ、~である調)になることもあるでしょう。とはいえ、基本的にはできるかぎり肩の凝らないものにしたいと思ってはいるので、ひとまず今はこのようなスタイルの文章で初めてみたいと思います。そのうちごっちゃごちゃになってくるでしょうけれども。なにしろ飽きっぽい性分なので、いつまで続くか自分でもわかりません。それでもおそらく一ヶ月程度はいくらなんでも継続すると思うので、お気軽にお付き合いをいただければ幸甚です。ニューズレター全体のタイトルも、そんなごった煮感がなんとなく漂いそうなものにしてみました。いかがでしょうか。

 このニューズレターのタイトルをぱっと見てニヤリとする方がどれほどいるのかわからないのですが、初手からネタばらしをしておくと、平岡正明氏の『筒井康隆はこう読めの逆襲』から拝借しました。二輪ロードレース好きで筒井康隆さんの愛読者でしかも平岡正明氏の著作までカバーするような好事家がどれほどいるのか不明ですが、ひとまず、そういうものを参考にタイトルをつけました、ということでひとつ。

 そういえば、Webミスターバイクの拙コラムは『続・MotoGPはいらんかね』というゆるめのタイトルですが、あれにもじつはネタ元があって、ちょっとわかりにくいかもしれませんが坂本冬美さんの「能登はいらんかいね」が原典です。

 まだミスターバイクが紙の雑誌として刊行されていた時代で、MotoGPの連載を始めようということになったときに、「うちはバイク雑誌だけど、MotoGPについて詳しい読者は多くないと思うので、できれば敷居の低いものにしたい」と編集者氏からの提案があり、いくつかタイトル候補を出してみたなかから採用されたものがあれだった、というわけです。自分では「MotoGPはいらんかいね」と提案したつもりでしたが、編集的なセンスで「いらんかね」としたのか、あるいはただ単純に誤記されてそうなったのかは、今に至るも謎のままです。そしてまた現在は、タイトルの前に「続」がついているのですが、たしか2014~15年頃に数ヶ月ほどこちらの体調的な事情からしばらくお休みをいただいたことがあって、その後、復活するに際して「続」がついたのだと記憶しています。

           ※             ※

 第19戦マレーシアGPが終わって、さていよいよシーズン最終戦、となるわけですが、ご存じのとおりバレンシア地方を襲った水害により、毎年恒例のバレンシア・リカルドトルモサーキットではレースを開催できなくなってしまいました。その後、関係者の大変な苦労があって、昨日(11月5日)付けで"Motul Solidarity Grand Prix of Barcelona"として、日程は当初の予定と同じく11月15日~17日に、バルセロナ郊外のバルセロナーカタルーニャサーキットで開催される旨の発表がありました。

 イベント名称を"Solidarity Grand Prix"と銘打っているところが、なによりいいですね。モンメロでレースをすることにより、(日本風にいえば)「皆で被災地へ寄り添おう」という意志を決然と示しているところが素晴らしいと思います。

 これに関連して、twitterやミスターバイクのコラムなどでも何度か紹介したのでご存じの方もいると思いますが、バレンシアに本拠を置くホルヘ・マルチネスのAspar Teamが被災地への寄付を募るサイトを立ち上げています(https://www.gofundme.com/f/asparteamxvalenciacatastrophe)。募金はクレジットカードなどでも可能なので、関心のある方は同サイトをご覧になってみてください。おそらく、最終戦の期間中にも現地では被災地支援の様々な呼びかけが行われることでしょう。その様子については、機会があればtwitterやFacebookや、あるいはこのニューズレターなどを通じてお知らせしてゆきたいと思います。

           ※             ※ 

 バレンシアの水害発生で、レース開催はおそらく無理だろうということは発災直後からほぼ明らかだったのですが、では最終戦をいつどこで開催するのか、ということがにわかに大きな難題として立ち上がってきました。耳敏い方々ならご存じのとおり、早い段階からバルセロナ、ポルティマオ、カタール等、いくつかの候補地の名がさっそく取り沙汰されていました。施設そのものの使用可否はもちろん、タイヤや関連設備のロジスティクス、コースマーシャルをはじめとする施設内外要員の手配、といった山積する課題を数日で解決しなければならなかった関係者の労苦はたいへんなものだったと思います。

 そのような大変な作業と比べれば些細なこととはいえ、レースを取材する我々も、この不安定な状況への対応で多少の調整が必要でした。最終戦に向けてあらかじめ予約していた航空券やホテル、レンタカーの手配をどうするか、という問題が突然に浮上してきたわけですから。というわけで、その一端を今回はちょっと紹介したいと思います。

 まずは航空券。

 今回の最終戦は、エールフランスで羽田/CDG/VALという経路の航空券を予約していました。エールフランスは二十数年間マイレージ会員に加入していて、ライフタイムプラチナという生涯資格を与えられているので、預ける荷物を別料金で加算される最も安価な料金クラスの航空券でも、この資格のおかげで無料でスーツケースをチェックインできたりするわけです。なのでけっこう重宝させてもらっているのですが、そういう利用の仕方をしているくらいだから、当然今回の航空券も払い戻し不可の最も安価な料金設定のものを購入していました。

 バレンシアで発生した水害の実態が少しずつ判明し、ここで2週間後にレースをするのは物理的にも無理だし人道的にもあり得ないだろう、ということが明らかになりつつあった木金曜の段階で、代替地はまだ明らかになっていなかったのものの、バレンシア行きで手配済みの航空券をなんとかしなければならないこともまた、明白でした。なので金曜の早い段階で航空会社の窓口に電話をして訊ねてみたところ、10月31日や11月1日に搭乗する便ならば無料で最終目的地変更が可能だが、それ以降の日程についてはどのような対応になるか未定、という返答でした。ただ、ノンリファンダブルのチケットでも当初の購入条件どおり、変更手数料と差額を払えば目的地変更は可能、という話だったので、そこだけを確認できればまずこの段階ではOK。具体的な航空券の変更は、最終戦開催地が判明してから、あらためて手続きを進めることにしました。

 次はホテルの手配。

 この段階で、最終戦の代替候補地として名前が挙がっていた場所をホテル予約サイトで検索し、可能性のありそうな日程でひととおり仮押さえをしてゆきます。この作業を進めていくと、特定の場所ではすでにかなりの数の宿が押さえられている日付があり、それを見ると、(これは予約日程が迫っているという以上の、なにか理由があるのではないか……)という類推も働くわけです。でもまあ、それはあくまでこの段階では邪推に近い想像で、ピンポイントでここにヤマを張るのはあまりにリスクが高い。じっさい、この段階では、この予約が混んでいた場所と違うところが代替開催の有力候補、と一部で囁かれていたようです。

 とまあいったような様々な類推や憶測が飛び交い個人的にも目的地変更作業の段取り手配が進む一方で、コース上では選手たちの走行が続き、被災地では懸命の救援活動が行われ、レース運営関係者たちは水面下で必死の交渉作業を続けていたわけです。

 レンタカーの手配もしなければならないのですが、今回の代替開催候補地とされる場所へ赴く場合はいずれもその地域の大きなハブ空港から走り出すことになるので、これはまあ、なんとでもなる。なんともならないのは、地方の小さな空港、たとえばタイのブリラム空港などから走り出す場合で、こういうケースではかなり早い段階から予約をしなければあっという間に車が払底してしまうわけです。アルゼンチンではトゥクマンという空港を利用していましたが、大手レンタカー会社の予約がすべて埋まって全滅状態だったことがあって、どうやって探し出したのか覚えていないのですが、カクタスレンタカーという名前だったか、地元の小さな会社で手配したこともありました。現地にはオフィスがなくて、担当者という兄ちゃんが空港まで自分で車を運転してくるようなサービス規模の会社でしたけれども。それでも車の状態に問題はなく、レンタル料もお安い料金でなかなか快適だった記憶があります。ヨーロッパの場合だと、ヘレスなども小さい空港なのでレンタカーが払底する可能性があります。が、ヘレス空港を使わずにセビージャから走り出すならまず大丈夫。

 ともあれ、複数のパターンを考慮しつつホテルとレンタカーの手配を済ませ、航空券もおそらく多少の追加料金を払えば変更可能ということがわかって、ようやく最終戦現地取材可能性の目星がついたため、少し気持ちが落ち着きました。代替候補地はバルセロナで決まりだろう、と言われ始めたのは、土曜の夜か日曜の朝あたりだったでしょうか。バルセロナで確定、という正式発表を早々に打てないのは、開催中止/可否の最終決定権が自治体側にあるからだ、と聞いたような気がします。災害対応を喫緊の最優先事項とする現地側では、レース中止は自明のことで、その正式手続きなど人命救助と災害復興の後回しで二の次三の次になるのは、まあ当然のことでありましょう。そのような様々な困難を乗り越えて、レースを運営するDORNAがマレーシアGPの翌々日に正式発表をできたのは、非常に迅速な対応といっていいと思います。

           ※             ※

 今回は、最終戦代替開催地決定に伴う個人的な手配作業のあれこれを少し記してみました。次回は、ちょっとレース方向に話題を振って、最終戦を前にしたチャンピオン候補2名の戦況を少し整理してみたいと思います(予定は未定)。

 それにしても、ニューズレターといいながらこんなに雑な内容でいいんでしょうか。今後、使い慣れてくるにつれて少しずつ内容も変わってくるかもしれませんが、まずは第一回目は以上ということで、本日ここまで。

《この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。 危ぶめば道はなし。 踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。 迷わず行けよ。行けばわかるさ。》

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