カタールGPを前に
カタールGPの初開催は、今から21年も前の2004年。首都のドーハは都市開発のまっただ中であちこちが大規模建築工事の途上でありながらも、大きな通りから一本中に入れば旧市街の雑然とした雰囲気をかなり濃厚に漂わせる小さな街でした。海岸線に沿ったアル・コーニッシュ通りは椰子の植樹が美しく整備された両側各3~4車線の観光道路かと見まがうような大きなストリートなのですが、そこから少し内陸に向かって街側へ入ると、無法状態に近い混雑と渋滞がいたるところで発生していました。そのドーハから車で約30分ほど走った場所にある、文字どおり砂漠の真ん中に建設されたサーキットは竣工してまだ間なしでとにかく砂が浮いて滑るため、どの陣営もその対応に苦労をしたようです。
その滑る路面の対策としてグリッドにスクーターを使ってタイヤラバーを付着させ、スタートを有利にしようとした、という廉でバレンティーノ・ロッシがグリッド降格の処分をされた出来事は、古いファンならご存じでしょう。ロッシ陣営(およびイタリアメディア)曰く「これをレースディレクションにタレこんだのはセテ・ジベルナウ(とホンダの仕業)だ」ということで、両選手の仲はこれを境に一気に険悪になり、ここからふたりの確執が表面化します。
ロッシはこの年、ヤマハに移籍した初年度で、前年まで所属していたホンダとの関係はけっしてよくありませんでした。しかも、この決勝では上記ペナルティで最後列スタートだったのですが、レースが始まると数周で一気に4番手まで追い上げる猛追で鬼気迫る走りを見せたものの、表彰台圏内を目前にして転倒リタイアをしています。そして優勝はジベルナウ。それもあってよけいに頭に血が上ったのか、「自分たちはセテとホンダに陥れられた」という言説をパドックじゅうに広めていったのですが、一方、いわゆる「ええ氏のぼんぼん」のジベルナウは、ロッシの深い怨嗟を即座には理解できず、いきなり突きつけられた悪意に当初はかなり戸惑っていた様子でした。イタリアンメディアは当然ロッシの味方なので、ジベルナウはあることないこと書き立てられてどんどんヒールにされてゆきます。このときのロッシ側主張の詳細は、拙訳書『バレンティーノ・ロッシ自叙伝』などをご参照ください。この見方は、日本でもロッシファンを中心にある程度の信頼を得ていたかもしれません。じっさいのところはどうだったのかというと、ロッシ陣営のタイヤラバー付着行為に対する抗議はホンダ陣営だけから出たのではなく、ドゥカティも同様に抗議を提出しています。そして、処分を受けたのはロッシだけではなく、このときホンダ陣営だったマックス・ビアッジも同様にグリッド降格で最後列スタートとされています。なので、公正な視点でこの出来事を見ると、ホンダに陥れられたとするロッシの主張は、やや被害妄想じみたものである、といったほうが妥当かもしれません(この一連の経緯は『MotoGP最速ライダーの肖像』でも詳述しています)。